第7回取材旅行 その1
渡航国 キューバ
訪れた街 ハバナ
期 間 2014年1月20日(月) 〜 2014年1月25日(土)
言 語 スペイン語 (英語はホテルやレストランならボチボチ通じました)
通 貨 兌換ペソ(CUC) ローカル用には人民ペソが流通している2重通貨制
航空会社 エアカナダ
アクセスルート 往路 成田空港 →11時間50分→ カナダ トロント・ピアソン国際空港 →3時間35分→ キューバ ハバナ ホセ・マルティ空港
  キューバ ハバナ ホセ・マルティ空港 →2時間45分→ パナマ トクメン国際空港 →2時間2分→ ジャマイカ モンテゴベイ サングスター国際空港
泊まった宿 ハバナ Casa de Ania

1922年に人類史上はじめて社会主義国家が誕生して以来、今年(2014年)で92年。 本家のソビエト連邦が自壊し、残る中国やベトナム、ラオス、はてや北朝鮮までが、政治は一党独裁なのに経済は市場経済という、 わけの分からん国になってしまった現在、政経ともに筋金入りの社会主義をやっている国は、 キューバだけになってしまいました。 そのキューバも革命世代のフィデル・カストロが評議長職を退き、じわりと収入格差が広がるなか、 次第に時代の変化の波が押し寄せて来ているようです。

行くなら今しかない!

社会の変化は料理の変化も伴います。このレアな文化が変わってしまう前に、キューバの料理を調べるため、僕たちはカナダのトロント経由でハバナに向かいました。

北米は遠いですね。成田からカナダのトロントまで、フライトタイムは約12時間。 機内で夕食を食べ、映画を1本観てひと眠り・・・それから起きてもまだ3時間以上ある!

今回お世話になったのはエアカナダさん。
すっきりしたお洒落なロゴで以前から一度乗ってみたいと思っていたのですが、 機内食は・・・コンビニ弁当レベルで量もちょんもり・・・経営が厳しいのかな?  さすがにみなさんお腹がいっぱいにならなかったようで、しばらくしたらカップラーメンが配られました。

トロントでトランジットした後は3時間ちょっとでハバナのホセ・マルティ国際空港に到着。 カオスのようなイミグレーションを抜けた時はすでに21時を回っていたので、宿まではタクシーで移動しました。 しかし降ろされた場所はご覧の通り、社会主義ゆえに電光広告がなく、暗くてちょっと怖い・・・しかも宿は『いかにも』という入り口ではありませんでした。たぶん、タクシードライバーが探してくれなかったら、バックパックを背負って、こんな通りを右往左往していたでしょう。

ところが一夜明けて外に出て見ると、いきなり街はサルサのノリに! 治安もまったく問題ありませんでした。 単純に暗かっただけだったのですね。

おお〜、なるほど聞いていたとおりだ。 見て下さい、この『クラシックカー』。50年代のアメリカ製旧車が現役で走り、街はさながら禁酒法時代を描いた映画のセットのようです。

ハバナにはさまざまな形態のホテルがありますけど、僕たちが投宿したのは個人が自宅の一部の部屋を旅行者に貸す『カサ・バルティクラル』という民宿風の宿。 目印は入り口近辺に掲示されている錨のマーク。青は外国人用で赤がローカル用です。ご覧の通り、大きな看板があるわけではなく、まずそれと分かりません。

室内は天井が低く、殺風景で、いかにも南米の安宿といった風情。 残念ながらインターネットは個人用に許可されていないので接続できません。 ま、僕たちが南米を旅していた2009年当時はWi-Fiすら普及しておらず、 ネットカフェに行くしかありませんでしから同じですね。好きです、こういう宿。

これを見て何だか分かった方は、南米の安宿の経験者。 そう、南米名物の『電気シャワー』なんですよ。 どういう仕組みかと申しますと、水流でオンオフできるスイッチがシャワー本体に組み込まれており、 中のニクロム線が熱せられて水が温まるというプリミティブなシロモノ。 垂れ下がってるのはその電源コードです。とにかく非力で、じゃ〜じゃ〜勢いよく出すとお湯というより水に近くなってしまいます。 お湯を浴びたいのであれば、ちょろちょろ程度が限界かな?  ときどき電線の焦げる臭いがしてきて感電するようなスリルも味わえます。

室内の鏡を使って撮ってみました。キューバでただ1枚のツーショット。あんまり三脚を立てて撮るような場所がなさそうなので。

朝食は質素な内容でしたけど、美味しかったです。こういうところからも社会主義のなんたるかが感じられますね。スタッフは一人を除いて英語が通じないけど、それでもみんなフレンドリーで、雰囲気は宿というよりホームステイに近いかな?

これがキューバの外国人用兌換ペソ(CUC)。社会主義ならではの面白いシステムですね。国民用にはペソ・クバーノ、外国人用はこれが流通しているのですよ。 交換レートは24ペソ・クバーノに対して1CUC。で1CUC=1.08米ドルが公定レートでした。

社会主義では一般的に『宗教は毒』とされていますが、キューバでは信教の自由が認められていました。ゆえに最大の信徒数をもつカトリックをはじめ、移民の出自を色濃く反映したヴードゥー教など、さまざまな宗教が根付いています。これはマリア信仰かサンテリアの一種かもしれません。英語が通じないので詳しく訊けませんでした。

さぁ、ここがハバナ随一の繁華街、オピスボ通り。平日にもかかわらずご覧の通りの人出です。今回の取材はここを中心に行います。

数十年に渡るアメリカの経済制裁の影響と最大の経済援助国だったソビエトの崩壊でキューバ経済は深刻な状況に陥っていました。たとえば自動車は買う資金がないだけではなく、お金を貯めたとしても政府への申請と許可がなくては購入できません。 ナンバープレートですら使い回しなんでしょうね。
新車が買えないのであれば、壊れても直すしかない。そこでこうした修理風景がハバナの街中で見られます。もちろん交換部品はありませんから、パーツ取り用の自動車をもう一台持っている人もいましたね。使えるものなら何でもとことん使う。お金がなければ知恵を使えばいい。こんなところからもキューバ人のしたたかさが感じられます。

リサイクルは自動車だけではありません。本や雑誌だってそう。ここではなんと、自動車と同じく1920年代のナショナルジオグラフィック(英語版)が売ってました。僕は世界大恐慌があった1929年版をゲット!中身に目を通すと・・・お〜、記事もさることながら広告が興味深かったですね。なんとアメリカの旅行会社により日本旅行が募集されていました。

チェ・ゲバラの肖像は革命広場だけではなく、市中のいたるところで見られます。興味深いのはこうした風潮に対するフィデル・カストロのコメント。「そういうのはな、死んだ奴らだけでやってくれ!」だって。確かに彼の銅像や肖像は市井はおろか、政府関係の施設でも見かけないのですよ。こういうのも彼の反骨精神の表れなのかもしれませんね。



ハバナにはスペイン統治時代からの建築物が数多く残っています。これは1704年に建立されたカテドラル。青空を背景にしたブーゲンビリアの花が南国を感じさせますね。

まぁ、そんな名所旧跡もいいのですけど、僕が個人的に惹かれるのはこうした生活道路。いかがですか? 絵になるでしょう? 手作りっぽいキューバ国旗がいい味を出しています。通りの奥に見えるのはカピトリオ(旧国会議事堂)。僕らが訪れた時には工事中でした。

オピスボ通り以外にも旧市街にはこうしたコロニアル調の素敵なカフェやレストランが散在しています。中には無料でバンド演奏が楽しめるところも。そのレベルがまた驚くほど高い! おかげでライブハウスに行く費用が浮きました。

こんな気だるい昼下がりの飲み物といえばモヒート。ミントの葉をマドラーでごしごし潰し、たっぷりライムを絞ってからホワイトラムを注ぎ、ソーダで割ります。それにしてもハバナのモヒートは濃いね!うぃ〜!

驚くなかれ、キューバには1959年の革命前から日本や中国からの移民がいたのですよ。その名残の一つがこれ。チャイナタウンならぬチャイナストリート。中はこじんまりとしながらも中華レストランが数件ありました。面白いのは外で呼び込みをやっている店員さんたち。横浜の中華街と違い、みなラテン・アフリカン系のキューバ人ばかり。経営者やコックさんもそうなのかな? 時間があったら食べ歩いてみたかったです。

さて、これなんだかな分かります?上が炊いたご飯のアロスブランコで手前が黒豆と炊いたアロスネグロ。先の写真でお話した東洋系移民の影響で、キューバでは僕らと同じようにご飯を食べるのが一般的なんですよ。違いはその量。なんと一皿のメインディッシュを注文すると、それに左の二皿がもれなくついて来ます。ん〜、この完食は難しい。もったいないので僕らはひとり一皿で勘弁していただきました。
旧市街地を散策するならあえて地図は使わず、足の向くまま気の向くまま、ぶらぶらするのも一興でしょう。治安がいいので日中ならカメラを持って歩いていても危険な感じはしません。ふと、こんな場所に出て地図を見ると「ああ、フエルサ要塞か!」そんな僕らを見とめた可愛らしい20歳代と思しき女性が片言の英語で「ハイ!ここあたしんち。寄ってく?」キューバの人はユーモアがあって人懐こい。

ユーモアがあるのは人だけではなく、街のディティールからも感じられます。建物の壁にあったこれは何だろう? 雨どい? いや水を吐いている形跡はないし。ポスト? でも書いてあるのは住所ではなくBVZON? なんて発音するの? 謎だ。

僕らの宿は中心から徒歩30分と離れていたので、ディナーは近くで食べることにしました。ホストのおばちゃんにお勧めはと訊くと、教えてくれたのはすぐ近くにあったこのレストラン。

入ってみれば店内はこの通り。こじんまりしており簡素な内装ですけど、アットホームないい雰囲気。

さてお仕事に取り掛かりましょうか。まずは前菜から。これはエンサラダ・トロピカル。ぷりぷりの小エビとパイナップルをマヨネーズで和え、ミントの香りを添えたサラダ。甘味、香り、コク、食感のバランスが最高! けっこうボリュームもあります。お供はここでならビールかな? もちろんモヒートもありです。それならドライタイプで!

メインはポージョ・ア・ラ・バルバコア。直訳するとチキンバーベキュー。なぁんだというなかれ、これが微妙にアジア風でいて照り焼きチキンとも違う独特な一品。はじめて食べる味でした。

もう一つのメインはロパ・ビエハ。これをスペイン語で直訳すると『ぼろきれ』となります。そのココロは? ビーフの赤身を下茹でし、フォークを使ってシュレッドするときに、見かけがさながらぼろきれのようになるから。とまぁ、つれないネーミングですけど、味の方はリッチなキューバ風スパイシービーフシチュー。これまたボリューム満点。ライスともよく合いますね。

今回、宿が提供しているクッキングクラスに参加しようと思ったのですが、シーズンオフでやっていないとのこと。なぁんだ、がっかり!としょげた僕らの気持ちを察してくれたのか、宿のお母さんが「それじゃ、あたしが教えてあげるよ!」。共通言語がない状態でのレクチャーは微妙でしたけど、そこは気持ちと気持ちである程度は分かり合えるもの。それに料理だけではなく、ローカルのキッチンを見れたのも収穫でした。年季の入った道具、なかでもテフロンの剥げたフライパンはキューバの窮状を感じさせましたが、そうしたモノを大切に使う姿勢に、モノが『豊かな』資本主義国家にはないメンタルな『豊かさ』が感じられましたね。
簡素な道具、質素な食事。それでもキューバの人々は自国を後進国だとは考えていません。むしろ先進国だと誇りを持っている感じすらあるのですよ。それはもしかしたら、日本と真逆の社会システムから作りだしたのが、僕たちとは定義の異なる『豊かさ』だったからかもしれません。僕らは滞在中、キューバ政府によるプロパガンダからではなく、こうして接した彼女、彼らの表情や行動から、それが何であるのか、なんとなく分かった気がします。
ここは宿のすぐ近くにあったローカル市場。お世辞にも豊富な食材とは言えませんが、必要なものは一揃いありました。こうした自給できる生活必需品は無料配給ではなく、国家統制された価格で販売されています。しかし輸入するしかない家電製品や機械となると、先の台所用品の例にもあるように慢性的な品不足になっています。その主たる理由はいわずもがなアメリカによる経済封鎖です。
ハバナの街並みは美しいですね。凱旋門や自由の女神のようなババンとしたランドマークこそありませんけど、全体が醸し出す雰囲気がいい。よそ行きの他人行儀な感じではなく、素顔で接してくれるような親しさ・・・たぶんそれは人から受ける印象とのギャップが少ないからかもしれません。

取材でとことん食べては、こうした街並みを気の向くまま歩いてお腹を空かし、そしてまた食べる。キューバはおしなべて料理の量が多く、僕らアジア人の胃袋にはなかなか厳しいこともありました。それでもなんとか皆さんに紹介できる料理を限られた時間内で探し出せたのはラッキーでしたね。

早朝のフライトのため、僕らは深夜2時半に宿をチェックアウトして、到着したのと同じホセ・マルティ国際空港へ。正味4日間のハバナ滞在は本当にあっという間でした。次回はぜひ、もう少し時間を取って、できればまだキューバが社会主義であるうちに再訪したいですね。ほんと、この国からは学べることが沢山あるんですよ。旅人として言うなら、できれば若手に行ってほしい国のひとつです。さて、ここから5時44分発コパ航空CM295便でパナマを経由し、ジャマイカへ向かいます。

 to be continued....

 

取材の結果はこちらをご覧下さい。→ キューバ料理特集

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