独立して以来、目覚めては来る球を打ち返す仕事が始まり、
終了のゴングが鳴ると気絶する。
そんな日々を繰り返し続け、気が付けば僕らは2011年3月3日に辿り着いていました。
それはととら亭にとって初めての記念日。
僕らはその日をまさしく放心状態で迎えたのです。
そしてまだその余韻に浸っていた8日後、東日本全体が激震に見舞われ、その後に続く放射性物質の不安のなか、暗中模索の航海を続けたのでした。
それからも、ここまで本当に、本当にいろいろなことがありました。
そして、その旅はまだ終わっていません。
10回目の記念日を前に、進路の前方にはかつて見たこともない嵐の雲が広がっています。
そこへ僕が左足を故障した状態で突入しなければばりませんが、
今度もしぶとく切り抜けるつもりです。長い旅は晴れの日ばかりではありませんからね。
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