第3回取材旅行
渡航国 ヨルダン
訪れた街 アンマン 死海 ペトラ ジェラシュ
期 間 2012年6月11日(月) 〜 2011年6月19日(火)
言 語 アラビア語
通 貨 ヨルダンディナール
航空会社 エティハド航空
アクセスルート 往路 成田空港 →12時間30分→ アブダビ国際空港 →2時間50分→ アンマン クィーンアリア国際空港
  復路 アンマン クィーンアリア国際空港 →2時間45分→ アブダビ国際空港 →10時間→ 成田空港
泊まった宿 アンマン Farah Hotel
  ペトラ Sun Set Hotel

人生何があるか分かりません。第3回目の取材旅行の日程はご覧の通り6月11日出発。 しかし当初の予定は同年2月中旬でした。延期の理由はブログで「僕の入院日記」を検索して頂くとして、 ラクダの救急車に乗せられはしまいかとの不安と背中合わせで行って参りました、ヨルダン・ハシミテ王国。 そこで出会ったアラブ料理の数々は、同じ中東に位置するトルコとすら似て異なるもの。 かのアラビアのロレンスも食べたであろう、ヨルダンの国民食、マンサフとは何か? それではそろそろ出発しましょうか。

今回はランチ営業をやってから大急ぎでお店をシャットダウンし、 夕方の新宿発成田エクスプレスに駆け込みました。 エティハド航空にお世話になるのは初めてです。エミレーツと並んでアラブ系の航空会社はレベルが高いですね。
経由地の空港はUAEのアブダビ。同じUAEの巨大なドバイ空港より大分こじんまりした空港ですが、 ラウンジに無料のWi-Hiもあり、使い勝手は良かったです。


クィーンアリア国際空港からタクシーでアンマンのダウンタウンへ。 初めて訪れた街で小さな宿を探すのはなかなか難しいのですが、 最近は便利なもので、事前にネットから印刷した地図をドライバーに見せれば、 大体、宿の前まで連れて行ってくれます。 それにしても渋滞がひどいですね。

ほら、やっぱり分かり難いでしょ。
車道にタクシーを止め、そこからこんな路地に入ります。

頼りはこんな小さな看板だけ。
ま、英語で表示してくれているだけ有難く思わなければ。
やっと着きました。この奥がホテルの入り口です。
気温は33度。あち〜・・・

アンマンの宿はこんな感じ。
写真では広く見えますが、それほどでもないですね。
シャワールームも電話ボックスくらい。
でも、僕らには十分です。

窓からは雑然としたアンマンの風景が。

一息ついて時刻は丁度お昼。 お腹ペコペコです。
さっそく街に繰り出し、ローカル食堂で中東の定番料理から始めましょう。 こうした所にメニューはありません。
他のテーブルを見回し、英語で「ファラフェルとフムスはありますか?」 そこで出て来たのがこれ。美味しそうでしょ?
左下はスパイシーなトマトソースで煮込んだヒヨコマメ。
右が同じくヒヨコマメで作ったペーストのフムス。
その奥もヒヨコマメで作ったコロッケのファラフェル。
これにはホットペーストを付けて食べます。
仕上げはシャーイ(紅茶)。

食後は近くにあるヨルダン国内最大のローマ劇場まで腹ごなしのお散歩。 保存状態はとてもいいですね。
上まで登るとダウンタウンの様子がよく見えます。
しかし暑い!いきなり炎天下のお散歩は、ちと無謀でした。
で、そうそうに宿へ退散。

宿に戻ってシャワーを浴び、旅の疲れを取ろうと昼寝をしたら、
夕寝、いや夜寝になってしまいました。いかん、取材に行かなきゃ。 でも時刻は21時半。この時間に出歩いて大丈夫かしらん? そう思って窓から通りを見下ろすと、 まだまだすごい人出です。中に女性や子供まで。 これなら大丈夫ですね。取り敢えず宿にほど近い路地裏まで来たら、 あ、なんかありますね。

ここはメニューがありましたがアラビア語のみ。
そこでウェイターのお兄さんに相談して決めたのがこれ。
サワニーというラムミンチに野菜を乗せてオーブンで焼いた料理。 これに右下のサルサに似たピリ辛トマトソースを添えて頂きます。 あ〜、美味すぎる。


次は定番のラムケバブ。右上のピタパンにコリアンダーの葉、ピクルス、 べークした野菜を乗せ、先のソースをかけて巻きます。 うぁ〜、これも美味しいね。ヨルダンに来て良かった!

デザートは店を変えてみましょう。
ん?あそこになにやら人だかりが・・・
そうか、これがアンマンで行列が出来るスイーツの店、ハビーバ。

この店の名物がクナーファという、アラブのホットチーズケーキ。 中東のスイーツはトルコのバクラヴァみたいにちょっと僕たちには甘すぎて、 敬遠していたのですけど、これは例外。いや、アンマンに来てこれを食べないなんて、 来た意味がないと言えるくらい美味しい。ほんと、ホッペの落ちる味です。
あ、僕の分もとっといて!

翌日は宿のツアーデスクで申し込んで、 いろいろ寄り道をしながら遺跡の街ペトラへ。 まず立ち寄ったのは、90%の国民がスンナ派のイスラム教徒が占めるヨルダンでも珍しい、 キリスト教徒の街マタバ。ここにはギリシャ正教の教会があります。

これはネボ山からの景色。
旧約聖書の申命記によれば、ヘブライ人を連れてエジプトを逃れたモーセは、この写真のような荒野を40年も彷徨い、 ようやくこのネボ山の頂で、死海の向こうにある約束の地、エルサレムを遠望したそうです。

しかしモーセは、その地を踏むことはなく、ここで亡くなりました。 彼はどんな気持ちで、約束の地へ向かう人々を見送ったのでしょうね。 僕はクリスチャンではありませんが、こうしてここに佇んでいると、 彼の思いが感じ取れるような気がしてきます。

死海のビーチ。
標高は海抜マイナス418m。地球上で最も空気の濃い場所でもあります。 塩分濃度も海水の約10倍。話に聞く通り、入ってみるとぷわんと浮かんでしまいます。 で、そのお味は・・・しょっぱいのを通り越してしびれるように苦い! これは塩化ナトリウム以外に、塩化マグネシウムなども大量に含んでいるため。 通りでビーチの入り口に「15分以内に水から出ること」とか「背泳ぎ禁止」と書いてあったわけです。 あの水が目に入ったらとんでもないことになりますし、早く出ないと因幡の白兎になってしまいます。

美しく長閑な風景ですが、ちょっと横を見れば、この場所がいかに緊迫したところなのか、実感できます。 ほら、有刺鉄線の柵が見えるでしょう?そう、対岸はイスラエル。平和なヨルダン領土内でさえ、 ここまで来る間に警察のチェックポイントがありました。勝手に動き回れる場所ではないのです。


死海の東岸を南下して行くと次第に標高が上がって来ます。 所々で見渡せるのが、ワーディーと呼ばれるこうした涸れ川。 ここを彷徨ったのはモーセだけではなく、近代ではアラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンスもそう。

ショーバック。
エルサレムの十字軍がヨルダンに遠征して築いた城です。


城の上から見事な地層の褶曲が見渡せました。
時の流れを感じます。

ようやく着きました。僕たちが降ろされたのはペトラの街の中心。 ここで同乗していた他のバックパッカーたちと別れ、遺跡のゲートの近くへ移動。 4、5軒の安宿を回り、値段と内容で決めたのがここ。Sun Set Hotel。



殺風景な部屋ですが広々としていました。
僕たち標準では、かなりいい宿。
スタッフもラブリー。


翌日はちょいと早起きして、フムスとチーズにピタパンの朝食を詰め込み、 やって参りました、ペトラ遺跡。
岩の隙間をかなり歩き、向こうに眩しい光が見えて来たかと思うと・・・


ドドンと現れるのは「インディージョーンズ最後の聖戦」のロケでも使われたエルカズネ。 写真からそのスケールは伝わらないと思いますが、高さは43mもあります。

古代ナバテア人の都市として栄えたペトラ。
これまで遺跡はテオティワカン、マチュピチュ、アンコールワット、スコータイなど、 いろいろ訪れましたが、この広さは群を抜いています。
日差しは強烈。気温もぐんぐん上がってきました。
水は一人1.5リットルを持参。

広い荒野のような遺跡群を横切ると、再び細い道が現れます。
熱風に煽られ、息を切らしながら登って行くと・・・

一番奥に佇むエド・ディルに着きました。
この遺跡も先のエドハズネ同様巨大です。 何と言っても砂岩の山そのものを素材として刻んだ彫刻のようなものですからね。 従って奥行きはあまりありません。

ここから先は峩々たる谷が行く手を塞いでいました。
入り口は幅3〜4mの細い谷。裏側がご覧の通りの切り立った崖。 ペトラが自然の要害であった理由も頷けます。 ここまで片道4時間くらいかかりました。 さて、お腹も空いてきたので戻りましょうか。


汗とパウダーサンドでガビガビの体をシャワーで洗い、 近くのレストランへGo!乾いた喉にビールが沁みます。 え?アルコールはご法度ではないのか? 僕たちもそう思っていたのですが、ウェイトレスのお姉さんが、「ヨルダンのビールはいかが?」と勧めて来たので。 ところが注いだところでマネージャーが彼女にぼそっと耳打ちを。 結局、「他から見られると具合が悪いのでメニューで隠して下さい。」だって。

ここではアラビアのロレンスも食べたであろう、ベドウィンの料理、マンサフを注文。 ジャミードという乾燥ヨーグルトで煮込んだチキンをライスに乗せて頂きます。

翌日はキングスハイウェイを北上してアンマンへ戻り、 初日と同じ宿にチェックイン。今日は市場に行ってみましょうか。
前方に見えるのはアンマンのランドマーク、アルフセインモスクのミナレット。 その前のキングタラル通りを南西に向かいます


通りの両サイドには様々な物販店が並んでいます。
飲食店は脇道にありますね。


最初の買い出しはここ。中東はドライフルーツやナッツ類が豊富。 お店ごとに微妙な違いがありますので、じっくりと見比べて行きます。

あ、どうやら決まったようですね。ともこが手にしているのはドライいちじく。 有名なトルコ産と比べてどうでしょうか。ととら亭では赤ワインとスパイスで煮たものを前菜の一つとして出しています。

生鮮売り場も活気があります。 見たこともない野菜やフルーツを見ているは楽しいですね。 全部買って帰れないのが残念。


お、そろそろお昼じゃないですか。
そこで目に入った路地裏のローカル食堂へ。 僕たちが通されたのは中二階の席。 写真からは分かり難いのですが、天井が低く、僕の身長では場所によって頭を屈めないと痛い目を見ます。 実はこのフロア、女性専用なのですね。イスラムの戒律を重んじるお国柄、男性が一階、女性と女性同伴の男性は二階に案内されます。

さ〜て、何にしようかな?
でもメニューはご覧の通りアラビア語のみ。


壁も同じくこんな感じ。
まぁ外国人が来る店ではありませんから、これも当然。

幸いヨルダンでは英語の通用率が高く、こうしたローカル食堂さえ、簡単な会話なら何とかなりました。 そこで注文したのは初日にも食べた、皆さんへの紹介ご紹介予定のサワニーとファラフェル。 真面目に仕事していますからね。同じ料理を場所を変えて最低3回は食べています。 ん〜・・・美味しい。ここのファラフェルは結構スパイシー。

食後はもう一度市場へ。今度はスパイスと塩を買いました。
初めて海外旅行に行った頃のともこは英語が上手く喋れないことから借りてきた猫みたいでしたが、 旅の会話は英会話のテストではなく、伝わればいいのだと気付いてからは、 こうした場面でもどしどし交渉するようになりました。 しかし相手もよくわかるね。喋っているのは英語というより、 「ちょぉっとぉ〜、まぁけてくぅださぁいよぉ〜!プリーズ!」みたいに、 おかしなイントネーションの日本語プラス英単語という、独自のともこ語ですから。
ま、ちゃんと希望価格で買い物をしているのだからすごい。
気迫ですかね?

滞在日数は限られています。食事のハズレは痛いので、じっくりお店を選びましょう。 ん?ここなんかどうです?いい感じじゃないですか?

前菜はレバノン生まれのパセリのサラダ、タブーレ。ビネガーの代わりに使っているレモンジュースでとても爽やかな風味。 暑い中でも食欲が出ます

メインはスパイシーなローストチキンとサフランライス。
ヨルダンはアラビア半島に位置していますが、アジア文化圏でもあります。 ですからお米を食べるのですよね。それもサラダや付け合わせではなく、 僕たち日本人と同じように主食として。
美味しいですよ。

ローマ時代の都市遺跡が残るジャラシュへ。
現在のラテン語表記はJerashですが、看板は古代に使われていたGerasaで表示されています。 2300年ほど前から作られたローマ時代の都市で、保存状態のいい建築物が広い範囲に数多く残っています。

しかし気温が40度近くなる初夏の日中に歩いている人影は殆どなく、 僕たちはちょっとした探検家気分を味わえました。 そういえば、タクシーのドライバーが、まもなくヨルダンは夏休みになると言っていたっけ。

ひと気のない遺跡を歩いていると、ひょっこり往時のローマ人が出て来そうな気がしてきます。ボンジョルノ!と現代イタリア語で挨拶したら通じるかしらん?

遺跡の近くには食堂らしきものはなかったので、乗合いミニバスでアンマンの郊外にあるバスターミナルまで戻ってからランチ。 ケバブサンドが美味しかったです。

最終日の朝食は宿からほど近い、こんなローカル食堂で。
見かけでは何屋だか分かりませんが、匂いに誘われて入ってみました。

サラーム!と声をかけて中に入ると、地元の人たちの微妙な視線が。 ま、突然、普段使いの食堂に外国人が入って来たのだから無理もないか。 でも、それは一時のこと。英語が通じたので話しかけると、途端に雰囲気は和やかに。 ここのフムスとムタバルも絶品でした。

出発前のランチは宿のすぐ近くのケバブ屋で。
さぁ、これを食べて帰ったらシャワーで汗を流し、空港に向かいます

おまけはこれ。エティハド航空の機内食。
こういうアラブ風の料理はエコノミーの機内食でも、結構イケるんですよね。 さて、帰りもアブダビ空港でトランジット。帰国したら日本も夏の入り口です。

See you on the next trip!!

 

取材の結果はこちらをご覧下さい。→ ヨルダン料理特集

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